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ハザールマフィア(アシュケナジー系ユダヤ)

 

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ハザール

ハザールは、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族と推測されており、支配者層が9世紀頃にユダヤ教に改宗したことは有名である。交易活動を通じて繁栄した。

ハザール - Wikipedia

ハザールとユダヤ

ハザールのユダヤ教受容は非常に有名であるが、改宗に関する史料は少なく、その時期と実態は謎に包まれており、さまざまな論争を呼んでいる。西欧ではアクイタニア(アテキーヌ)のドルトマルが864年に書いたマタイ伝の注釈の中で、ハザールの改宗にふれているので、864年以前であることは確実であろう。アラブのマスウーディーはハザールの王(ベク)がハールーン・アッ=ラシード(在位:786年 - 809年)の時代に、ユダヤ教を受け入れ、ビザンツ帝国ムスリム諸国から迫害を受けて逃れてきたユダヤ教徒がハザール国に集まったと記している。10世紀のコルドバユダヤ人ハスダイ・イブン・シャプルトがハザールのヨシフ・カガンに宛てた手紙、いわゆる『ハザール書簡』において、「ブラン・カガンが夢の中で天使に会ってユダヤ教に改宗したが、民衆が新しい宗教を信じなかったので、ベクが尽力してユダヤ教の普及をはかった」という記述がある。ブラン・カガンの時代だとすると、730年 - 740年頃ということになる。以上のように、改宗の時期や理由は断定することはできないが、9世紀初頭と考えるのが妥当なところであろう。

735年にマルワーン率いるウマイヤ朝軍に敗れたハザールは一時的にイスラム教に改宗したものの、アッバース革命に前後するイスラーム帝国内部の混乱を機に、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容した。こうして9世紀までに、ハザールの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。

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宗教

ハザールの元来の宗教は多神教アニミズムであり、テングル・カガン(天王)が最も重要視された。しかしながら遊牧民の特徴として他の宗教には寛容であるため、イスラム教,キリスト教ユダヤ教なども信仰された。

9世紀に支配者層はユダヤ教に改宗し、一部の一般住民もそれに続いた。断定はできないがその理由として、東に位置するイスラームアッバース朝と、西に位置する正教会東ローマ帝国の双方から等距離を図るための選択という説がある。

ハザール - Wikipedia

6~10世紀に、カスピ海黒海沿岸の南ロシア草原地帯にあった、トルコ系民族の遊牧国家。もともとはトルコ系の西突厥宗主国としていたが、7世紀に自立して王は可汗(カガン)を称した。黒海をはさんで向かい合っていたビザンツ帝国と通交し、時に侵攻して恐れられた。7世紀にはハザールに圧迫された同じトルコ系のブルガール人は西方に移動し、バルカン半島に入った。

その商業活動は、ヴォルガ川を遡ってルーシと交易し、カスピ海方面はイスラーム商人との、黒海方面はビザンツ帝国との交易の場となった。都はヴォルガ河口のイティリだった。なおイスラーム教徒はカスピ海のことを「ハザールの海」というのは、かれらもハザール人とカスピ海を舞台に交易を行ったからである。また、ハザール側がイスラーム商人に提供したのはスラブ人などの奴隷だった。

ハザール=カガン国

ユダヤ教の受容

ハザール国はビザンツ帝国の北にある国々の中でも重要な国の一つだった。8世紀の初め、ブランという王侯がユダヤ教の長所を認めて、公にこれを王国の宗教とした。ユダヤ教は、地中海・黒海カスピ海周辺で活動していたユダヤ商人たちによって伝えられたものであった。多くの貴族も国王に従い、彼の子孫の一人オバティアはシナゴーグユダヤ教教会)を建設し、外人の学者を招き、熱心に信仰を広めた。支配階級だけでなく、普通の人々もユダヤ教徒となり、ユダヤ化が進んだ。しかも、ユダヤ教の伝統的な寛容の原則により、他の宗教も妨げられなかった。<セーシル=ロス『ユダヤ人の歴史』 1961 みすず書房 p.190>

ハザール=カガン国

ハザール王国の滅亡

このように歴史上、ハザール=カガン国(ハン国、王国)はトルコ系の遊牧国家として生まれたが、ユダヤ教を受容し、厳密にはユダヤ人ではないが、自らユダヤ人であると自覚するようになったユダヤ国家である、といえる。

ハザール王国はその黄金時代を通じて、ユダヤ教を国教としていたと思われるが、その盛んな時代は長く続かなかった。965年から969年にかけて、キエフ公国がこの地方に侵入し、その後の戦争も長びき大部分が占領された。その後約半世紀、クリミア地方で独立状態を保ったが、1016年までにロシアとビザンツ帝国の同盟軍によって征服された。

ハザール=カガン国

ロシアのユダヤ

ハザール=カガン国はその実態にはまだ明らかになっていないことも多いが、特筆すべきは、他のトルコ系諸民族がイスラーム教を受け容れたのに対してユダヤ教を受容したことである。また、彼らはキエフやロシアに押されて衰退するが、ユダヤ教信仰を持ち続け、それがロシアにユダヤ教徒ユダヤ人が多い理由ともなっている。彼らは19世紀末の帝政ロシアで迫害され、戦後パレスチナにわたってイスラエル建国に加わった。<坂本勉『トルコ民族の世界史』 慶應義塾大学出版会 p.20>

ハザール=カガン国

●ところで、ノーベル賞受賞者の3分の1以上はユダヤ人といわれているが、マルクスフロイトアインシュタインチャップリンキッシンジャーなどなどといった数多くの有名ユダヤ人たちは、不思議なことにほとんど白人系である。一体どうして世の中には「白人系のユダヤ人」が数多く存在しているのか? 本当のユダヤ人は白人では決してないはずである。

旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。彼らは人種的に「セム系」と呼ばれ、黒髪・黒目で肌の浅黒い人々であった。モーセダビデ、ソロモン、そしてイエスもみな非白人(オリエンタル)だったと記述されている。

●一般にユダヤ社会では、白人系ユダヤ人を「アシュケナジーユダヤ人(アシュケナジーム)」と呼び、オリエンタル(アジア・アフリカ系)ユダヤ人を「スファラディユダヤ人(スファラディム)」と呼んで区別している。

アシュケナジーとは、ドイツの地名にもなっているように、もとはアーリア系民族の名前であった。一方、スファラディとは、もともと「スペイン」という意味だが、これは中世ヨーロッパ時代のユダヤ人たちの多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)にいたことに由来している。

8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかった。それがなぜか8~9世紀を境にして、突然、大量に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場したのである。いったい何が起きたのか?

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●自らアシュケナジーユダヤ人であった有名な思想家アーサー・ケストラーは、「白人系ユダヤ人の謎」に挑戦した。彼は若い頃からユダヤ問題に関心を持ち、シオニズム運動に参加し、ロンドン・タイムズのパレスチナ特派員を経て、1957年にはイギリス王立文学会特別会員に選ばれていた。彼は白人系ユダヤ人のルーツを丹念に調べ、1977年に最後の著書として『第13支族』を著した。彼は白人系ユダヤ人のルーツはハザール王国にあると主張した。

ケストラーの『第13支族』が出た当時、世界的に有名な新聞などがこの著書を絶賛してやまなかった。この本は、科学や思想が中心のケストラーの著作としては異色の書で、その内容は世界史の常識・認識を根底から揺さぶるほどの問題作であり、あまりの衝撃ゆえ、翻訳出版を控えた国も出た。1983年3月にケストラーが夫人とともに謎の自殺を遂げた時、当時の新聞の死亡記事に記載された彼の多くの著作リストの中には、この『第13支族』は省かれていた・・・・・・。

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イスラエル建国以来、一貫して反シオニズムの立場に立つジャーナリスト、アルフレッド・リリアンソール。彼の父方の祖父はアシュケナジーユダヤ人で、祖母はスファラディユダヤ人であった。彼はアーサー・ケストラーの本よりも2、3年も早く『イスラエルについて』という本を書き、その中で東欧ユダヤ人のルーツ、すなわちハザール人について以下のように述べている。

「東ヨーロッパ及び西ヨーロッパのユダヤ人たちの正統な先祖は、8世紀に改宗したハザール人たちであり、このことはシオニストたちのイスラエルへの執着を支える一番肝心な柱を損ねかねないため、全力を挙げて暗い秘密として隠され続けて来たのである。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●古典的SF小説『タイムマシン』の著者であり、イギリスの社会主義者H・G・ウェルズ(1866~1946年)は『歴史の輪郭』の中で次のように述べている。

「ハザール人は今日ユダヤ人として偽装している」

ユダヤ人の大部分はユダヤ地方(パレスチナ)に決していなかったし、またユダヤ地方から来たのでは決してない」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

ハーバード大学のローランド・B・ジャクソン教授は、1923年、次のように記している。

ユダヤ人を区別するのに最も重要な要素は・・・・・・ハザール人の8世紀におけるユダヤ教への改宗であった。これらのハザール人にあって・・・・・・私たちは東ヨーロッパのほとんどのユダヤ人の起源を、十中八、九までここに見出すのである。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエルが建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。

「・・・・・・これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫——その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者——が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ・・・・・・」

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●ちなみに、自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていたユダヤ人学者のN・M・ポロックは、1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。

イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●ここで、もう1人、ナイム・ギラディというユダヤ人についても紹介しておきたい。

彼はかつてイスラエルで活躍していたジャーナリストである。彼は典型的なスファラディム(スファラディユダヤ人)で、建国と同時にアラブ世界からイスラエルに移住した。しかし彼が目にしたものは、思いもつかない想像を絶するイスラエルの現状であったという。彼は見たこともないユダヤ人と称する人々(東欧系白人/アシュケナジーム)を見て大変とまどったという。

イスラエル国内ではスファラディムは二級市民に落とされているが、彼はその二級市民の代表として、イスラエルであらゆる運動を展開した。幾度も刑務所につながれたこともあったという。しかし一貫して彼は本当のユダヤ人とは何かを主張し続けた。本当のユダヤ人に対する住宅、社会生活、就職などの改善を訴え続けたのであった。

●彼は、1992年秋、スファラディムを代表する一人として日本各地を講演して回った。彼は講演で次のように語った。

イスラエルでは本当のユダヤ人たちが、どれほど惨めな生活を強いられていることか・・・・・・アシュケナジームを名乗るハザール系ユダヤ人たちが、スファラディムすなわちアブラハムの子孫たちを二級市民に叩き落としているのである。

・・・・・・まだイスラエルにいた当時、私はパレスチナ人たちに向かって次のように演説した。『あなががたは自分たちをイスラエルにおける二級市民と言っているが、実はあなたがたは二級ではなく三級市民なのである。なぜならば、アシュケナジームとあなたがたパレスチナ人の間に、私たちスファラディムがいるからだ。そして、私たちもあなたがたと同じように虐げられているのである・・・・・・』」

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イスラエルのアシュケナジー系の政治家が、スファラディユダヤ人に対して「差別発言」をしたことを伝える記事(1997年8月3日『朝日新聞』)

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●宗教・民族に関して数多くの著書を出している、明治大学の有名な越智道雄教授は、最近、ハザールとアシュケナジーム(アシュケナジーユダヤ人)について次のように述べている。

「アシュケナジームは、西暦70年のエルサレムの『ソロモン第2神殿』破壊以後、ライン川流域に移住したといい伝えられたが、近年では彼らは7世紀に黒海沿岸に『ハザール王国』を築き、9世紀初めにユダヤ教に改宗したトルコ系人種ハザール人の子孫とされてきている。10世紀半ばにはキエフ・ロシア人の侵攻でボルガ下流のハザール王国首都イティルが滅び、歴史の彼方へ消えていった。彼らこそ、キリスト教イスラム教に挟撃された改宗ユダヤ教徒だったわけである。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

イスラエル共和国を去ったユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)で素直な気持ちを述べている。

イスラエルにいたとき、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作しているのを見た。どこから見てもインド人で、インドの言葉、インドの服装、インドの文化を持っていた。しかし彼らがユダヤ教徒だと聞いたとき、私のユダヤ民族の概念は吹っ飛んでしまった。

同じように黒人がいた。アルジェリア人がいた。イエメン人がいた。フランス人がいた。ポーランド人がいた。イギリス人がいた。まだ会ってはいないが中国人もいるそうである。どの人々も、人種や民族というより、単なる宗教的同一性としか言いようのない存在だった。〈中略〉私の母はスラブの顔をしている。父はポーランドの顔としかいいようがない。私もそうなのだ。」

「私はイスラエルで一つの風刺漫画を見た。白人のユダヤ人がイスラエルに着いたら、そこは純粋なユダヤ人の国だと説明されていたのに、黒人もアラブ人もいたのでがっかりした、というものだ。この黒人もアラブ人もユダヤ教徒だったのだ。彼は自分の同胞に有色人種がいたので、こんなはずではないと思ったのである。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●祖国を失ったハザール人は、“ユダヤ人”として生きることになった。もちろん、中にはオリジナル・ユダヤ人と混血した人もいるだろう。ハザール王国時代、地中海やオリエント出自のユダヤ人(オリジナル・ユダヤ人)が流入していたことは否定できない。しかし、それはごくごく少数の集団であった。ハザール王ヨセフ自身が明らかにしたように、彼らは自分たちがセム系ではなく、非セム系(ヤペテ系)の「ゴメルの息子」にルーツを持っていることを自覚していた。

現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上がアシュケナジームだが、彼らの大部分は、『旧約聖書』に登場する本来のユダヤ人とは全く関係のない異民族といえる。

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

パレスチナ問題は極めて深刻な状態である。

主にアシュケナジームのシオニストが中心的に動いて、パレスチナに強引にユダヤ国家を作ってしまったのだが、その時の彼らの主張が非常にまずかった。彼らは、自分たちは「血統的」に『旧約聖書』によってたつ敬虔な「選民」であると主張してしまったのだ。単なるユダヤ教を信仰する「ユダヤ教徒」ではなく、『旧約聖書』のユダヤ人と全く同一のユダヤ人としてふるまい、パレスチナに「祖国」を作る権利があると強く主張してしまったのだ。この主張は今でも続いている。

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●本来なら、ユダヤ国家の建設地はパレスチナ以外でもよかった。ユダヤ教を信仰する者同士が、周囲と争いを起こすことなく仲良く集まれる場所で良かったのだ。

事実、初期のシオニズム運動は「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンにしていたのだ。“近代シオニズムの父”であるテオドール・ヘルツルは、パレスチナユダヤ国家を建設することに難色を示し、その代わりにアフリカのウガンダ、あるいはマダガスカル島ユダヤ国家をつくろうと提案していたのである。

多くの先住民が住むパレスチナユダヤ国家を作ったら、大きな問題が起きることぐらい誰でも予測のつくことであった。

●しかし、東欧のシオニストたちは、自分たちのアイデンティティの拠り所として、ユダヤ国家建設の候補地は“約束の地”であるパレスチナでしかあり得ないと主張し、ヘルツルの提案に大反対した。さらに東アフリカの「ウガンダ」が候補地として浮上し始めると、東欧のシオニストたちは猛反発し、「世界シオニスト機構」を脱退するとまで言い出した。

ユダヤ教に全く関心を持っていなかったヘルツルにとって、入植地がどこになろうと問題ではなかった。しかし、ナショナリズムに燃えていた東欧のシオニストのほとんどにとって、入植運動は、聖書の“選ばれた民”の膨張運動であって、アフリカなどは全く問題になり得なかったのである。そのため、「ウガンダ計画」に激怒したロシアのシオニストの一派が、ヘルツルの副官にあたるマクス・ノルダウを殺害しようとする一幕さえあった。

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●1992年8月20日付の朝日新聞夕刊は、アシュケナジーユダヤ人の由来まで踏み込まなかったものの、以下のような驚くべきニュースを報じている。

「6世紀から11世紀にかけてカスピ海黒海にまたがるハザールというトルコ系の遊牧民帝国があった。9世紀ごろ支配階級がユダヤ教に改宗、ユダヤ人以外のユダヤ帝国という世界史上まれな例としてロシアや欧米では研究されてきた。〈中略〉この7月、報道写真家の広河隆一氏がロシアの考古学者と共同で1週間の発掘調査を実施し、カスピ海の小島から首都イティルの可能性が高い防壁や古墳群を発見した」

●この発掘調査に参加した広河隆一氏は次のように語っている。

「ロシアは、ロシア・キエフ公国に起源を求め、それ以前にハザール帝国という文明国の影響を受けたことを認めたがらない。〈中略〉このハザールは世界史で果たした大きな役割にもかかわらず、ほとんど知られてこなかった。ビザンティンと同盟して、ペルシャイスラム・アラブ軍の北進を妨げたのである。ハザールがなかったら、ヨーロッパはイスラム化され、ロシアもアメリカもイスラム国家になっていた可能性が高いという学者も多い」

「・・・・・・しかしハザール帝国の“ユダヤ人”はどこに消えたか。ダゲスタンには今も多くのユダヤ人が住んでいる。彼らはコーカサス山脈の山間部に住むユダヤ人だったり、黒海のほとりからきたカライ派ユダヤ人の末裔だったりする。このカライ派ユダヤ人たちは明らかにハザールを祖先に持つ人々だと言われている。そして彼らはハザール崩壊後、リトアニアの傭兵になったり、ポーランドに向かった。〈中略〉私はチェルノブイリの村でもユダヤ人の居住区の足跡を見たし、ウクライナ南部では熱狂的なハシディズムというユダヤ教徒の祭りに出合った。『屋根の上のヴァイオリン弾き』はこの辺りのユダヤ人居住区『シュテートル』を舞台にしたものだが、この居住形態はヨーロッパ南部の『ゲットー』という居住形態とは全く異なる。そしてこの『シュテートル』がハザールの居住区の形態だと指摘する人は多い」

「ところで、ハザール帝国消滅後しばらくして、東欧のユダヤ人の人口が爆発的に増えたのはなぜかという謎がある。正統派の学者は否定するが、ハザールの移住民が流入したと考えなければ、この謎は解けないと考える人が意外と多いのだ。〈中略〉現代ユダヤ人の主流をなすアシュケナジーと呼ばれるユダヤ人は、東欧系のユダヤ人が中心である。神が約束した地に戻ると言ってパレスチナユダヤ人国家イスラエルを建国した人々も、ポーランドやロシアのユダヤ人たちだ。〈中略〉ハザールの遺跡には、現在に至る歴史の闇を照らす鍵が隠されていることだけは確かなようである」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

●ちなみに、前出のユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)の中で、ハザールについて次のように述べている。

「私が自分のアイデンティティを探して、父母の国ポーランドに深く関わっていたとき、私につきまとって離れない一つの疑問があった。それは父母の祖先が、いつ頃どこからポーランドに渡ってきたのだろうか、という疑問である。

ポーランドの歴史にユダヤ人の名が登場するのは、12世紀以降である。一体そのときに何があったのだろう。一般に信じられているユダヤ史では、ドイツにいたユダヤ人が十字軍に追われてポーランドに来たと説明されている。しかし証拠はない。〈中略〉

ハザールの物語は、私に大きな衝撃を与えた。同時に私の心の中に何か安堵(あんど)のような気持ちが湧き上がってきた。うまく言葉にできないが、私は自分と『約束の地』の関係がきっぱり切れたように思えたのである。私はダビデやソロモンとの血縁が無いことになった。ユダヤ民族の祖先がパレスチナを追われ、悲惨な迫害に生き残り、再びパレスチナに戻るというシオニズムの神話にわずらわされることがなくなるわけである。そして、パレスチナにではなくコーカサスに私の根が求められるということは、不正から自分が解放されることになる。それに私は小さい頃から、スラブの地方に言いようのない懐かしさを感じていたのである。

さらに言えば、母がポーランドを逃亡した経路は、故郷に向かう道でもあったのではないか。危急存亡のとき、ポーランドユダヤ人は、知らずしらず祖先の故国に向かったのではないか。ソ連ソ連領で開放されたユダヤ人が中央アジアを目指したのも、単にそこが暖かかったという以上の何かがあったからではないだろうか。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

ユダヤ人作家ジョージ・ジョナスが書いた『標的は11人 — モサド暗殺チームの記録』(新潮社)というノンフィクション小説がある。

この本はモサド暗殺チーム隊長を務めた男(アフナー)の告白に基づく壮絶な復讐の記録である。

●この本の主人公アフナーは、本の最後のほうで、ため息混じりに、こうつぶやいている。

「しょせんイスラエルを支配しているのはガリチア人だ・・・」

●この「ガリチア」とは、ウクライナ北西部とポーランド南東部にまたがる地域で、カルパチア山脈一帯のことを指し、ハザール王国領に隣接していた地域である。この地域はハザール王国滅亡以降、多くのユダヤ人が住んでおり、特に東ガリチアの町ドロゴビッチはユダヤ教の一大中心地となっていた。

下の地図を参考にしてほしい。

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ハザール王国とガリチア地方(黄色で塗られた場所)

●さて、この本の中には「ガリチア人(ガリシア人)について具体的に説明されている箇所があるので、参考までに抜粋しておきたい。

※以下の文中に出てくる「キブツ」とは、イスラエルの「共同村」のことで、キブツ出身者はイスラエル国家を政治的にも経済的にも社会的にも支えるエリート集団であると言われている。

「アフナーは4年間キブツですごしたが、そこで学んだことが2つあった。

1つは同じイスラエル人でも、まるで異なるイスラエル人がいるという現実を初めて知った。キブツの主流は東欧系ユダヤ人の『ガリチア人』が占めていた。

ガリチアとはポーランド南東部からウクライナ北西部にかけての地域で、排他的、自堕落、うぬぼれ、狡猾、うそつきを特性とする下層ユダヤ人の居住地だった。

ガリチア人は反面、機敏で活力にあふれ、意志が強いことで知られる。しかもすばらしいユーモア感覚を持ち、勇敢で、祖国に献身的である。が、常につけ入る隙に目を光らせているから油断がならない。概して洗練されたものには関心がなく、平然とうそをつくし、信念よりも物質に重きを置く。おまけに地縁、血縁を軸とした派閥意識がきわめて強く、何かというとすぐに手を結びたがり、互いにかばい合う。ことごとくガリチアの出身者ではないだろうが、しかしこれらの特性を持ち合わせていさえすれば、まずガリチア人といってよかった。」

ガリチア人からすれば、アフナーのような西欧系ユダヤ人は『イッケー出』であった。イッケーとは、都会のユダヤ人街『ゲットー』や東欧のユダヤ人村『シュテトゥル』を経験したことがない、西欧社会に吸収された『同化ユダヤ人』のことである。礼儀正しく、万事に几帳面で清潔だ。書物を集め、クラシック音楽に耳を傾ける。しかも政治的には、イスラエルが北欧三国のような開放社会、独立国家になることを望んでいる。そして物不足になれば配給制を主張し、長時間の買物行列に加わることもいとわない。ガリチア人とは違って裏工作をしたり、不正な手段で物資を入手したりするのを忌みきらう。勤勉で時間、規則を重んじ、物事が組織的に運ばれることを好む。たとえばドイツ系ユダヤ人が圧倒的に多い。“イッケーの街”ナハリヤは区画整理が行き届いている。ある点で彼らはドイツ人よりはるかに“ゲルマン的”だ。」

「アフナーはキブツ生活を通じて“ガリチア流”なるものを思い知らされた。東欧系ユダヤ人、とくにポーランドユダヤ人、ロシア系ユダヤ人なら徹底的に面倒をみる流儀であった。最高の働き口、世に出るチャンスはすべて彼らの手に渡るよう仕組まれる。キブツの主導権は彼らががっちり握っていた。

たとえば誰の息子があこがれの医学校に進むかという問題になると、学業や能力は無視された。むろん、建前は民主的に運営され、総会にかけて全員が投票し、進学者を決める。ところが、常に当選するのはガリチア人の子弟にきまっていた。

アフナーはキブツばかりでなく、軍隊を経て社会人になっても、ガリチア人の優位がついて回るのを知った。

ドイツ系、オランダ系、アメリカ系ユダヤ人などの出る幕がないほどであった。オリエント系ユダヤ人にいたっては、ガリチア人の助けを借りない限り、手も足も出なかった。」

ハザールとユダヤ ~ハザール系ユダヤ人について~

マネーカースト最上位「ハザールマフィア」の正体

 ハザールとは、今から1000年以上前の7~10世紀に、カスピ海黒海周辺で栄えた奴隷商人国家の名である。

 カスピ海黒海周辺は、ヨーロッパとアジアの折衡点であり、文明的、文化的にも重要な役割を果たしてきた地域である。そして、これは人類の歴史にとっても非常に重要な部分となるのだが、この国が信仰していたのは、「神」ではなく「悪魔」なのだ。

 この悪魔信仰を紀元前までさかのぼると、「バール」と呼ばれる悪魔を崇拝する古代遊牧民族の宗教に行き当たる。一言で言えば、悪魔を崇めて、人間を家畜のように奴隷化しようとする宗教である。これは、効率的に乳牛などの家畜を管理する遊牧民族のシステムから生まれた思想なのだが、そこには、動物だけでなく「農耕民族(人間)」をも「家畜」として扱う危険思想が含まれている。

 その後、このバールは、古代エジプトを征服した異民族ヒクソスの治世の下、エジプト神話の「セト(サタン)」と融合する。ここで悪魔信仰が一つの完成をみる。

 このヒクソスがエジプト人との戦いに敗れ、エジプトを後にした際に、奴隷として連れてきたのが中近東の農耕民族である。その際、ヒクソスは自分たちは悪魔を信仰していながらも、奴隷を管理するために「神」を作ったとされる。

 そしてこれが、「神よりも悪魔の方が上位にあり、悪魔信仰を盤石にするために神を利用する」という、現在まで続くハザールマフィアの根本的な思想となる。

 古代からの悪魔信仰を受け継いできた奴隷商人国家ハザールだが、10世紀以降、ユダヤ教に(表面的に)改宗して、ハザール系ユダヤ教徒となることで勢力を広げていく。

 17世紀になると、このハザール系ユダヤ教徒の中に、一人の教祖が現れる。サバタイ・ツヴィという人物である。現在のハザールマフィアの祖ともいえる存在だ。

 サバタイは、トルコ出身のユダヤ人であり、自らを「ユダヤの救世主」として、新興宗教を立ち上げて布教を始めた。しかし、危険人物としてトルコ皇帝に拘束され、「死刑を受けるか、イスラム教に改宗せよ」と迫られる。このとき、サバタイは100万人以上の信者たちと共にイスラム教に改宗する。見せかけの改宗をしてイスラム教の内部に入り込み、イスラム教を乗っ取ろうと画策したのだ。

 その後サバタイの勢力は、他の宗教や有力な組織を乗っ取るときも同じ手口を使うようになる。そして自分たちの支配下に置く宗教や組織を増やし、その勢力を次々と拡大させていった。その目的は一神教、つまりユダヤ教キリスト教イスラム教の統一。そしてサバタイ派による権力の掌握であった。

 このサバタイ派の継承者らが、現代のハザールマフィアである。彼らは今もキリスト教徒やイスラム教徒のふり、ユダヤ人のふりをしながらさまざまな国の中枢に潜り込んでいる。現在ではアメリカ、EU、日本、サウジアラビアカタールウクライナ、そしてイスラエルの一部を支配するまでになったのだ。

 そしてここは非常に重要な部分なのだが、サバタイの思想の中心に「ハルマゲドン(最終戦争)」があった。ヨハネの黙示録などに描かれた「世界の終り」についての予言だ。

 その後、数百年の間、その思想は脈々とハザールマフィアに受け継がれた。そして、「人類の9割を殺して残りの1割を自分たちの家畜にする」という「第三次世界大戦(人工ハルマゲドン)」計画へと発展し、現在に至るのだ。

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「金融支配」で大英帝国を乗っ取ったロスチャイルド

 ハザールマフィアが人間を支配するのに作り出したシステムは三つある。「宗教」「貨幣」そして「暴力」である。

 近世、そのうちの二つ「貨幣=金融」と「暴力=戦争」を結び付けることで強大な力を得たのが、ロスチャイルド一族とヨーロッパの王室や貴族を中心とするハザールマフィアであった。

 ハザールマフィアの勃興を体現した、ロスチャイルド一族の歴史を見てみよう。

 ロスチャイルドの一族の祖は、18世紀ドイツ、フランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)で暮らすユダヤ人家系出身のマイアー・アムシェル・ロスチャイルドだ。古銭商人から身を起こして財をなし、ロスチャイルド一族の家業となる金融業・銀行業を営むようになる。そしてマイアーは、欧州各国に戦争資金を貸し付けることで、その国の政治への影響力を手に入れていく。この手法はロスチャイルド一族の伝統となり、子孫たちにも受け継がれていく。

 マイアーは、貨幣というものが世界を支配する要であることを熟知していた。それはマイアーが1790年に残した「我に通貨発行権を与えよ! さすれば法律など誰が作ろうとかまわない」という言葉にも如実に表れている。

 マイアーの5人の息子たちは、ヨーロッパ中に事業を拡大していく。父親の「通貨発行権」への願いを実現したのは、イギリスで事業展開をしていたマイアーの三男であるネイサン・メイアー・ロスチャイルドである。

 19世紀初頭、「ナポレオン戦争」がナポレオン・ボナパルトによって起こされ、イギリスとフランスの間で戦争が始まった。ネイサンは、イギリスに戦費や物資を調達して莫大な利益を上げる。戦時、財政難に陥っていたイギリスにとっては重宝する存在であったであろう。

 しかし、ネイサンは単なる便利屋ではなく、胸中に悪魔的な計画を秘めていた。

 まずは、ナポレオン戦争で築いた莫大な資産で、イギリスの中央銀行イングランド銀行」が発行する銀行券(政府紙幣)の買い占めを行った。そして、イギリス政府に対して、銀行券と金(ゴールド)との交換を求めたのあ。

 当時、イギリスは金兌換制である。金兌換制とは、金といつでも交換できる約束の上に貨幣の価値が成立する制度である。逆に言えば、金と交換できなかった時点でその貨幣の価値は破綻するのだ。

 しかし、戦費調達のために、一時的にイングランド銀行の金はほぼ海外に流出した状態であった。そこを狙っての一斉攻撃である。イギリスがイングランド銀行の破綻を回避するには、ロスチャイルドと和解するしか道はなかった。

 ロスチャイルドが出した条件は「イングランド銀行の株式譲渡」。苦渋の選択であったが、イギリス政府はこれを飲んだ。つまるところ、国有銀行が、ロスチャイルド一族単独経営の民間銀行として「民営化」されてしまったのである。

 こうして1825年、イングランド銀行ロスチャイルドの経営するN・Mロスチャイルド&サンズに買収され、中央銀行が持つイギリス通貨(ポンド)の発行権がロスチャイルド一族の手に渡っていく。ついに、ロスチャイルド一族はマイアーの求めた「通貨発行権」を得たのである。

 ロスチャイルドがイギリスに対して出したもう一つの条件が「シティ」の割譲だった。

 シティとは、14世紀にロンドンの一区画に建造された、イングランド銀行をはじめとしたイギリスの金融機関が密集する城塞都市である。

 シティには、有事に備えて、イギリス政府と同格の行政機能が与えられていた。いわば独立した「都市国家」に近い区域なのだ。そのシティが、ロスチャイルド一族の支配下に置かれたのである。ロスチャイルド一族は国家システムの管理から脱して、自らが「システム」となり「法」と化したのである。

 その後、世界中に植民地を持つイギリスのシティには、国際金融資本が続々と集まってきた。それに伴い、シティが発行するポンドは、世界最強の基軸通貨となっていく。そしてロスチャイルドが経営権を持つイングランド銀行は、第一次世界大戦の終わりまで「世界の銀行」と呼ばれ、世界中に基軸通貨「ポンド」を投資し、莫大な収益を上げた。

 通貨発行権を得たことでイギリスを支配したロスチャイルド一族を中心とするハザールマフィアが、次なる標的に選んだのが新興国アメリカであった。

 彼らはアメリカを支配するために、ナポレオン戦争でイギリスに行った手口を用いる。イギリスの通貨発行権を独占したのと同じように、アメリカの通貨発行権に狙いを定めたのである。

 アメリカとドルの歴史については次章で詳述するが、彼らは、権力と財力、そして壮大な策謀でアメリカのドル発行権も手に入れる。

 ポンドと、それに続くドルという基軸通貨を手中に納めることで、ハザールマフィアは近代のマネーカーストの最上位に君臨していくのである。

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「エネルギー資源マフィア」ロックフェラーの死

 現在、マネーカーストの最上位を占めるハザールマフィアの内部は、大きく二つの勢力に分けられる。

 一つは先に述べたロスチャイルド一族や、世界の大富豪として知られるヨーロッパの王室や貴族たち。

 もう一つがロックフェラー一族やブッシュ一族、クリントン一族らを中心として形成される「ナチスアメリカ(ナチス派)」と呼ばれるグループだ。第二次世界大戦中にアメリカの中枢を乗っ取った彼らは、アメリカの政治や経済、軍事を長きにわたって支配してきた。

 しかし現在、ハザールマフィアの権勢が急速に衰退しつつある。アメリカ経済の低迷、中国の台頭、そしてトランプ大統領の誕生はハザールマフィアの弱体化を象徴する大きな出来事といえる。

 2017年、その衰退に拍車をかける「事件」が起きた。ナチス派の領袖の一人、デイヴィッド・ロックフェラーが死んだのだ。

 その死の重大さを理解するには、まず「エネルギー資源マフィア」ことロックフェラー一族の歴史を紐解く必要がある。

 1868年、オハイオ州の油田からその歴史は始まった。最初は小さな製油所であったものの、当時は新しい技術だったパイプラインを駆使して価格を安く抑えることで次第に事業を拡大していく。そしてわずか10年後の1878年には、アメリカ国内の石油精製の実に90%を独占するようになる。さらには、中近東の石油を管理するサウジアラビア王家を牛耳って、石油支配の手を世界へと広げていく。

 ロックフェラー一族が担っていたのは石油産業だけではない。事業を拡大していく中で、軍事産業や金融業、製薬産業などを傘下に収めて絶大な権力を手にするようになったのだ。「テロ戦争派」の暴力組織ブッシュ一族や国際犯罪ネットワークに通じるクリントン一族と連携し、時にライバルとして覇権を争いながら、石油、軍、製薬、金融を牛耳り、旧植民地における利権を支配してきたのである。

 戦後、ロックフェラー一族を、ひいては世界のダークサイドを支配していたのは、3代目当主デイヴィッド・ロックフェラーであった。日本に対する属国支配とも関係が深く、「三極委員会」(改称前は「日米欧委員会」)や「ビルダーバーグ会議」、「外交問題評議会」といった組織や会合の会長職に納まり、アメリカの支配力の及ぶ国々に対して(勅令ともいえる)政策提言を下していった。

 長者番付の順位や数字だけを見ていると、一見、デイヴィッド・ロックフェラーの資産は世界を支配するほどには多くないように見える。

 亡くなる前年である、2016年発表の米長者番付「フォーブズ400」では214位、資産額は31億ドルである。1位のビル・ゲイツの810億ドルに比べると、実に26分の1である。

 しかし、その人間が本当にどれだけの富を持っているかは、実は個人資産では計れない。個人資産で評価する長者番付には財団が入らないからである。財団でカモフラージュすれば、個人資産はいくらでも隠すことができるのである。

 実際、デイヴィッド・ロックフェラーが所有している財団をよくよく調べてみると、ビル・ゲイツを越える「兆ドル単位」の財産を所有して(もしくは、個人的影響下に収めて)いたのだ。そして財団を通して大量の株式を所有することで、世界企業の上位、例えば「フォーチュン・グローバル500(世界企業500社番付)」にランクインしているほとんどの企業の実質的支配権を掌握していたのである。

 2017年3月20日、このデイヴィッド・ロックフェラーが死を迎えた。101歳没。

 自らをギリシア神話の主神「ゼウス」だと周囲に豪語して、戦後70年以上も世界権力ピラミッドの中で絶大な影響力を誇示した、デイヴィッド・ロックフェラー。ハザールマフィアの重要人物の死によって権力が空洞化し、世界のパワーバランスは大きく崩れ、組織の弱体化が加速しているのだ。

 さらに2018年11月、ブッシュ一族の長であるパパ・ブッシュこと、第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュも、この世を去った。94歳没。ちなみに彼の妻であり、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュの母親バーバラ・ブッシュも同年4月17日に死去している。彼女の父は史上最大の悪魔崇拝者として有名な黒魔術師アレイスター・クロウリーだといわれている。

 第二次世界大戦後のハザールマフィアの発展に寄与してきた領袖たちの死は、組織内部で世代交代が始まっていることを意味している。すでにハザールマフィアの幹部だった者たちも次々と失脚したり、死亡したりしている。その中には暗殺されたと思われる者もいる。

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事故死に偽装した「ロスチャイルド暗殺」説

ハザールマフィアの世代交代により、組織幹部たちが、世界の表舞台から次々と姿を消している。欧米で起きた革命によって失脚、もしくは暗殺などにより死亡したとされる人物は以下のとおりだ。

 第29代イエズス会総会長ペーター・ハンス・コルベンバッハ(2008年退位)

 第265代ローマ教皇ベネディクト16世(2013年2月28日退位)

 オランダ女王ベアトリクス(2013年4月30日退位)

 第6代ベルギー国王アルベール2世(2013年7月21日退位)

 スペイン国王フアン・カルロス1世(2014年6月19日退位)

 特にベネディクト16世の退位は、ローマ教皇としては実に719年ぶりの自由意志による生前退位であった。これは、本来ならば「あり得ない」出来事なのだ。いかに世界権力の移行で大きな流れが起こっているかが分かるであろう。

 ロスチャイルド一族の複数のメンバー、バチカン銀行の幹部、CIA(米中央情報局)やNSA(米国家安全保障局)などアメリカ当局の複数の長官、ヒラリー・クリントンビル・クリントン、ブッシュ一族、ビル・ゲイツなど、枚挙にいとまがない。さらに、これらの人物たちにぶら下がっていた下っぱたちも、権力の座から追われて次々と「消えて」いっているのだ。

 2017年11月17日、イギリス・バッキンガムシャー州にあるロスチャイルド一族の大邸宅(ワデスドン・マナー)上空で、ヘリコプターと小型機の衝突事故が起きた。事件が報道された直後から「死亡者の中に、ロスチャイルド一族の長老の誰かが含まれていた」との憶測が飛び交っていた。

 その後、CIA筋から「この事故によりジェイコブ・ロスチャイルドが死亡している」との情報も入ってきた。同筋によると、この小型機の衝突は「事故」ではなく、現当主ジェイコブが一族の緊急会議に呼ばれてパリに向かおうとしたところ、それを察知したある者が、彼が乗るヘリコプターに小型機で体当たりしたというのだ。

 ジェイコブの死後、長男ナサニエルフィリップ・ロスチャイルドが秘密裏にロンドン・ロスチャイルド家当主の座に納まっているという。

 アメリカでもハザールマフィアの大物が死亡している。

 2018年8月25日、ジョン・マケイン上院議員が死去した。81歳没。海軍将校、ベトナム戦争の英雄、共和党大統領候補など、そのキャリアから「アメリカ政界の重鎮」と称された政治家であった。

 しかし、マケインの裏の顔は、「イスラム国」の創設に関与したとされる、いわばハザールマフィアの実行部隊トップの一人。死因は脳腫瘍とマスコミは報じているが、複数のペンタゴン国防総省)筋が「マケインは、アメリカへの反逆行為により処刑された」と伝えている。

 アメリカ軍筋によると、マケインにはベトナム戦争で捕虜となり、アメリカ側の作戦や機密情報を漏洩した過去があるという。その際、それが原因で多くの仲間が殺されたことから、軍人からは忌み嫌われていたとされる。ただし、今回の処刑は過去の裏切りが理由ではなく、「テロ組織イスラム国の創設に関与したことだった」と同筋は話している。

 そして、マケインは軍当局に拘束された際に多くのことを証言していたため、表向きは「アメリカにおける英雄が闘病の末に死去した」との美談に改変されたストーリーが公表された。

 このマケイン処刑についての情報は、大手マスコミでも確認できる。例えば、オハイオ州知事ジョン・ケーシックがCNNの生放送中に「McCain was put to death」と発言。「put to death」とは「処刑」もしくは「殺害」の意味である。ケーシックはマケイン処刑の真相をうっかり口にしてしまったのだ。

 後述するが、現在アメリカはドナルド・トランプを神輿に担いだアメリカ軍とハザールマフィアが対立する「内戦」状態にある。このマケインの死を機に、今後は反トランプ勢=ハザールマフィアの失脚や暗殺、逮捕がエスカレートしていくと同筋らは話している。

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