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アルバート・パイク

 

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アルバート・パイクAlbert Pike、1809年12月29日 - 1891年4月2日)は、弁護士。フリーメイソン南北戦争時の南部連合の将軍。

アルバート・パイク - Wikipedia

秘密結社フリーメイソンに所属していたと言われている。「メイソンの黒い教皇」とも呼ばれている。古代や東洋の神秘主義を研究して、構成員を増やした。

アルバート・パイク - Wikipedia

アルバート・パイク(1809-91)は、弁護士、詩人、多作な作家、南部連邦の将軍、フリーメイソンリーであった。パイクは貪欲な読書家でもあった、特に古代文化の宗教と哲学体系に興味があった。そして、世界中の人々の道徳を体系化して考えた。

アルバート・パイク2&メイソ

将軍としては、アメリカ・インディアン以外は、白人、黒人どちらの軍隊も指揮しなかった。パイクは、アメリカ・インディアンの宗教の信条を研究し尊重した。しかし、パイクはどんなに深く他宗教を探っても、信心深い三位一体キリスト教徒として自分自身の信仰をぐらつかせせることはなかった。パイクは政治の強力な中央管理化を支持しなかった。奴隷制度の問題についてではなく、政治的な州権論の概念についてパイクは自分の人生と運命を戦争の危険にさらした。現在、パイクは政治的に間違っていたと判断される。しかし少なくとも、彼は信念のために死ぬ覚悟があった。

アルバート・パイク2&メイソ

オハイオ州シンシナティに本部を置いていた秘密結社「金の輪の騎士達」がリンカーン暗殺に関与したことが明るみに出た後、その名称を「KKK」に変更した当事者でもある。

アルバート・パイクの世界操作計画 : さてはてメモ帳 Imagine & Think!

1834年に、イタリアの指導的革命家ジュゼッペ・マッツィーニイルミナティによって選ばれ、全世界においてその革命計画を指揮した。彼は、1872年に死ぬまで、この計画のために働いたが、死ぬ数年前に、アルバート・パイクという名の米軍大将にイルミナティへの加入を勧めた。パイクは、世界統一政府という考えに惹かれて加入し、その後、ついにはこの悪魔的陰謀組織のトップにまで昇りつめた。

イルミナティと外交問題評議会

1871年、イタリアのフリーメイソンジュゼッペ・マッツィーニ(イタリア建国の父)に送った手紙には、第一次世界大戦第二次世界大戦、更に第三次世界大戦についての計画が記されていたという説が陰謀論者の間で広がっている。その内容はおおよそ以下の通りである。

第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう」

第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである」

第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている・・・・・・」

「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる・・・・・・」

アルバート・パイク - Wikipedia

この往復書簡の起源は不明確のままである。原典となるパイク書簡は現物が実在しておらず、かつて実際に書かれた事を証明する決定的な証拠も存在していない。

1870年1月22日にマッツィーニがパイクに宛てた手紙に対し、1871年8月15日にパイクがマッツィーニに返事を出したということになっている。

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マッツィーニによるとされる手紙の内容は、エディス(イーディス)・スター・ミラー、クイーンボロ男爵夫人(Edith Starr Miller, Lady Queenborough, 1887年7月16日- 1933年1月16日)が1933年に出版した「オカルト神権政治」(Occult Theocracy)に収録されている。

アルバート・パイク - Wikipedia

パイクによるとされる返書の内容は、チリのサンティアゴ枢機卿、ホセ・マリア・カロ・ロドリゲス(José María Caro Rodríguez, 1866年6月23日- 1958年12月4日)が1925年に出版した「ベールを剥がされたフリーメイソンリーの密儀」(Mystery of Freemasonry unveiled)の中に収録されている。抄訳が、ロドリゲス枢機卿から学んだとされる、元・王立カナダ海軍情報将校であるウィリアム・ガイ・カー(William Guy Carr, 1895年6月2日- 1959年10月2日)が1955年に上梓した「ゲームの駒」(Pawns in the Game)第4版(1962年)に掲載された。

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ただし、これらの手紙が存在した事実はありません。これらは後付け、もしくはこじ付けられたものかもしれません。※一説では、大英博物館の資料保管庫にあるという噂も存在するが。

フリーメイソンの本当の計画!アルバート・パイクは噛ませ犬!? - 赤ノ録

この手紙が書かれたのは1871年8月15日。

この時、まだ第一次世界大戦(1914年勃発)も、第二次世界大戦(1939年勃発)も起こっていなかった。この手紙の中に書かれている「ドイツの国家主義者」を「ナチス」に、「政治的シオニスト」を「ユダヤ人」に置き換えると、第二次世界大戦の構図をはっきりと捉えていることが分かる。

一番不気味なのは、中東での紛争を引き金にして「第三次世界大戦」の勃発を予想している点であろう。

アルバート・パイクの“予言”

アルバート・パイクは「予言とは当てるものではなく、当たるものだ!」と手紙に書いていたそうです。

つまり、彼の書いた手紙は予言ではなく計画書なのかもしれません。

【アルバート・パイクの予言】イルミナティが起こす第三次世界大戦 - 都市伝説まとめ大辞典

この計画は、パイクの死後、まったく「その通り」という感じで進行する。ロシアのロマノフ王朝は、日露戦争敗北の後、第一次世界大戦の1917年、ロシア革命で滅亡する。ロマノフ王朝のロシアにある金銀財宝はロスチャイルドから資金貸与をされたロシア共産党に没収される。共産党は没収した財産をもとにして、ロスチャイルドからの借金に利子をつけて返したので、結果的にロスチャイルドロマノフ王朝の財産が渡ったわけである。また、ヨーロッパの銀行に預けてあったロマノフの銀行預金はロスチャイルドにかなり奪われる。

第二回 アルバート・パイクの手紙 - 第三次世界大戦を心配するブログ

ロシア皇帝は、陰謀の存在を見抜き、それを完膚なきまでに破壊した。当時ロスチャイルド王朝の主であったネイサン・ロスチャイルドは烈火のごとく怒り「いずれ私か私の子孫が、ツァーとその家族を根絶やしにするだろう」と誓った。この誓いは、1917年に子孫によって成就した[訳注:つまりロシア革命]。

イルミナティと外交問題評議会

第一次世界大戦は、ロシア帝政の壊滅を目的としたイルミナティの戦争であった。ロスチャイルドは、ウィーン会議においてロシア皇帝によって自らの計画が台無しにされたことに怒り、ロシアを無神論共産主義の橋頭堡にするとの誓いを立てた。

イルミナティと外交問題評議会

今日陰謀に携わっている人々(合衆国ではCFR)は、アメリ連邦準備制度などを通じて政府に高利で金を貸すことによって我々の政府に影響力を行使・支配し、我々を戦争に誘導している(例:ベトナム戦争。この戦争は国連が作った)。その目的は、パイクの計略を推進し、無神論コミュニズムキリスト教全体を第三次世界大戦に引き入れ、世界規模だけではなく、各国の国内でも戦乱を引き起こすためだ。

イルミナティと外交問題評議会

たとえパイクが、戦争で最も残虐行為を行った南部連邦の将軍であったとしても、パイクの墓は連邦議会議事堂から、ちょうど13ブロック離れた位置にある。パイクは、ニューワールドオーダーグループにとって、今でも尊敬されるイルミナティの高ランクのメンバーであった。イルミナティとの崇拝の的はルシファーである。

アルバート・パイクについて

「無目的な大衆の集団は、有効に利用され、管理されなければならない。それは知性によって統率されるべきである。」

アルバート・パイクについて

「迷信(宗教)、独断と偏見により、人類に対して至る所に築かれる砦を破壊するために、集団は頭脳と法(イルミナティの)を有しなければならない。その大胆な行為は不変の結果をもたらし、真の革新となる。そこに崇高な勝利がある。」

アルバート・パイクについて

「保守派と司法の規則による統制、組織的運動と努力、これらの結合により、すべての集団は結集され、知性(イルミナティ)により支配され、偉大な変革は進み出す準備ができる。」

アルバート・パイクについて

「そう、ルシファーは神である、残念なことに、アドネイ(イエス)も同様に神である。永遠の法において、陰なくしては光はなく、醜さなくしては美しさはなく、黒なくしては白はない、絶対紳は2つの神としてのみ存在する事ができる。光には暗闇が必要である、引き立て役として、彫像に台が必要であるように、機関車にブレーキが必要なように。」

アルバート・パイクについて